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モスクワ大公国摂政、ソフィア
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2002/ 6/21 20:23 [ No.470 / 1370 ] |
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モスクワ大公ドミートリー(3世)ドンスコイ(在位1359−89年)の子、ヴァシーリー1世(生 年1371年、在位1389−1425年)はリトアニアに亡命中、リトアニアの事実上の支配者 ヴィトフトの娘、ソフィアと婚約、帰国してモスクワ大公となった後、1391年にモスクワに彼女 を迎えて結婚します。史上リトアニアのソフィア(生没年?−1453年)と呼ばれる女性です。 2人の間には1415年、ヴァシーリー2世(在位1425−65年)が生まれるのですが、ここで ソフィアの出身地リトアニアの情勢をみておきましょう。
リトアニアは14世紀前半ゲディミン大公が現れ、領土を大きく拡大しますが、北方から軍事 的脅威を受けていました。それはプロセイン(現・ロシア領カリーニングラード付近)とリヴォニア (現・エストニア、ラトヴィア、クールラント)を支配する十字軍・ドイツ(チュートン)騎士団です。 リトアニア大公ヨガイラ(在位1377年ー92年)がポランド女王ヤドヴィガ(在位1384−99 年)と結婚し、リトアニアとポーランドを合体させたのもドイツ騎士団の脅威に対抗するためで した。ポーランド王ヴワディスワフ2世(在位1386−1434年)となったヨガイラはリトアニアの 管理を従兄弟のヴィトフトに任せ、1410年史上有名なタンネンベルクの戦いでドイツ騎士 団を撃破し、目的を達成します。(ドイツ騎士団はこの後衰退し、ポーランド王に臣従する 世俗領主となります。ポーランド人から見ると痛快な時代でしょうね。)
リトアニアの事実上の支配者ヴィトフトは非常に実力のある人で、ヴワディスエアフ2世とは一 時争ったこともあるのですが、1392年正式にリトアニア公となり、98年リトアニア大公、1401 年にはリトアニアにおける王の代理に任命されています。ポーランド・リトアニア連合王国と言う ものの、日常行政は別々に行われていたのです。ヴィトフトは1430年になくなるまで、リトア ニアの事実上の支配者としてロシアに領土を拡大し、内紛を続けるキプチャク汗国(タタール) の継承問題にまで介入します。
さて1425年モスクワ大公国ではヴァシーリー1世が亡くなり、9歳のヴァシーリー2世が後継と なります。父公の遺言により、母ソフィアが摂政、母方の祖父リトアニア大公ヴィトフトは後見 人に任命されます。ヴァシーリー2世の継承に反対する叔父のガーリチ公ユーリー(ヴァシーリ ー1世の弟)もヴィトフトの威光を恐れて、思いとどまります。しかし、1430年ヴィトフトが亡く なると、リトアニアでも内紛が起こり、モスクワ大公国でも叔父ユーリーが挙兵して、20年にわ たる内戦に突入するのです。1444年、ヴァシーリー2世は突如北上してきたタタールの軍勢 とスーズダリで戦い捕虜となります。タタール軍の侵攻を恐れたソフィアらは一時モスクワから脱 出しますが、タタール軍はそのまま東に去り、ヴァシーリー2世は翌年身代金と引き換えにモス クワに帰還。モスクワの内戦の方も1456年ヴァシーリー2世の勝利に終わり、彼の長男イヴ ァン3世(在位1462−1505年)がロシア統一に乗り出すことになります。 生没年?−1453年、摂政期間1425−30年
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